生きていた証し

その方が亡くなった記録というよりも、「生きていた証し」を彫刻しているつもりです。

 

人は例外なく、いつかは死にます。

 

この仕事をしていると、やっぱりそれは真実なんだなと切実に感じます。

 

諸行無常。よくできた言葉ですね。

「よどみに浮ぶうたかたは かつ消え かつ結びて 久しくとどまるためしなし」

「花の色は うつりにけりないたずらに わが身世にふる ながめせしまに」

無常観は昔から日本文学における大きなテーマです。

 

世の中の一切のことは、常に変化していきます。あるいは、いつかは必ず消えてなくなります。

この感覚は、若い頃は日常生活ではあまり感じませんでしたが、最近しばしば感じます。

 

 

ところで、聞くところによると、御影石(花崗岩)は地上に暴露されてから600年後くらいから本格的な風化が始まるとのこと。なかなか長持ちするものですね。

というか、風化が始まるということは、何百年何千年後には、やっぱり消えて無くなるということです。

 

石に刻んだ生きた証し。これすら、いつかは消えてしまうということです。

 

はかないと言えばそれまでですが、日本ではこの「はかなさ」に美学を感じてきた歴史もあります。

 

あるいは、だからこそ今を大切に生きよう。そんな気持ちも生まれてきます。

 

 

春は桜、秋は紅葉が舞う現場で、一人でのんびり作業をしています。

故人とは今までの人生では接点などはまったくありませんが、こうして作業をさせていただくことで、なんとなく縁のようなものを感じます。 「どんな人生だったんだろうか」「どんなお仕事をされていたんだろうか」「どんな音楽を聴いていたんだろう」なんて、考えながら。